2003年7月から10月
福島民報の民報サロンで6回連載させてもらいました。

題:「土を知らない農家」
福島県須賀川市、阿武隈の麓でバラ農園を始めて5年半経ちました。大阪の繁華街に生まれ、ネオンサインを星代わりに、漫才を子守唄代りに育ったので田も畑も近所で見た覚えがありません。大学で造船学と発酵工学を学び、外資系の酵素会社の研究員として東京、千葉で十年間働いている間もやはり田も畑も知らずに過ごしていました。1993年の1月から半年間、本社勤務となり妻と1才の子どもを連れてデンマークのコペンハーゲンに住んだ事が転機となりました。贅沢品は持ってなくても生活を楽しみ自分の時間の使いかたを知り、質素だけれども心豊かな生活を送っている国。食料自給率の高い農業国の底力を見た思いがしました。7月、デンマークから帰って来ると日本は冷夏。千葉県でも稲が10月まで青く、米を緊急輸入しなければいけないという事態。食料を自給できないということは大変危ないことだと改めて思いました。妻が緑の多さと空間の広さを求めて、「田舎に住みたい」と言い、農業をやろうと決心し、色々調べて三年。農家出身でない私には土地がない。米なら10ha、野菜なら1haの土地が必要と分かり、小さな面積でも食っていけると言われた花農家に成ろうと決めました。食料ではないけれど花も人を幸せにすると思って。日持ちが悪くて輸入が難しく、そして自分自身の大好きな花、バラを作ることにしました。農業生産に拘わった事は全くありませんでしたが、生き物を育てる仕事はずっとやっていました。研究所ではカビやバクテリアを培養して酵素というたんぱく質を生産する研究をしていましたが、生物の能力の計り知れなさにいつもただ驚いていました。酵素の生産量を増やす研究は突然変異を起こさせたり遺伝子操作したり微生物自身を変化させる方法と、育てる温度や栄養素の量などいろいろの要因を調整し、育てる環境をかえる方法の二つの方法で進められます。近年、遺伝子が万能で遺伝子がよければいいと思われる傾向が強いのですが、環境を変えることでも菌の能力が飛躍的に伸び、良い菌でも環境が適当なものでなければその才能が示されないことを肌で覚えました。販売用植物、特にバラはほとんどが挿し木で増やされるクローンです。同じ名前のバラは同じ遺伝子をもっているはずです。でも育て方で、日持ちも違うし大きさも違う、香りも色も枝の太さも違うのです。栽培環境が大きく影響します。育てる仕事は常に脇役です。どんなに一生懸命育てることに力を注いでも主役は育つ方。バラがどれだけ自分の力を出し切ってくれるか、いつもバラの顔色を見ながら祈る気分です。微生物の培養でも子育てでもそのことは同じような気がします。育てることが好きだから農業を始めようと思った時になんの躊躇もなかったのかもしれません。育てる仕事だから、主役は向こうだから、自分の思うようにならないことばかりです。その上、天候や市場価格などたくさんの要因に振り回されるハイリスク、ローリターンの仕事だということが分かりました。それでも、農業を職業に選んで良かったと思っています。土をいじるのは経験が要り、手におえそうにないので水耕栽培でバラを育てています。土の上ではなく、スポンジのようなマットに根を張らせ空中で育てています。農家になりましたが田や畑のことは未だによくわかりません。

題:「バラ、バラ、バラ」
日曜日は嫌いです。パートさんは来ないし、花市場への出荷はあるし、子供は家にいるし、てんてこ舞いで1日が終わります。
600坪の温室でバラの花を1年中咲かせているので温室に全く入らない日は盆2日と正月3日くらい。毎日がバラの生活。やり始める前は水耕栽培だし温度管理も自動制御なので夫婦2人で何とかなるかと思っていましたが、とんでもない話だと思い知らされました。バラは病気や虫に弱く、日持ちが良くて形の良いバラを大量に作るには大変な労働力が要ります。1番手間がかかるのが脇芽摘み。きれいに咲かせようと思うと、真上の蕾だけを残してほかの花芽を人手でひとつひとつ摘まなければなりません。温室の中には1万株以上のバラが育ち、夏場だと1株に2〜10本の花枝が伸びます。1株に平均5本の花枝があるとして1本の脇芽処理に5秒かかるとすると、温室全部の脇芽処理に25万秒(約69時間)かかる計算になります。1日7時間働いて10日。実際はもう少し早く処理できますが、脇芽は暑い時期だと1週間で伸びるので、脇芽摘みだけでも1人では大変です。毎日の仕事は朝1番の花きりで始まります。冬場で200〜400本、夏場で500〜900本。バラは長さで値段が違うので10cmごとに揃えて10本1束にしてゆきます。バケツに漬け冷蔵庫で数時間置くと、首まで水が上がり、切った時よりシャキッとした花に仕上がります。花の調子にもよりますが、切り始めて冷蔵庫に入れるまで300本処理するのに1人でおよそ3時間。夏場1人だとこれだけで1日が終わります。この他に草取り、防除、掃除、肥料溶液作り、温室のメンテナンス等々花作りだけでも相当の忙しさです。温室だけで働くわけではなく、午後からは花市場への出荷作業や個人消費者向けの花束作りやアレンジ作り、箱詰めにあっという間に時間が経っていきます。夜は夜で、通信販売の伝票作りや請求書書き、ホームページづくり、時には深夜に近所のスナックへ花束の配達。朝は、夜のうちに来たお客様からのメールやFAXに返信。曜日に関係なく一日中仕事があります。もちろん夫婦だけで処理できるはずはなく、午前中4人と午後1人のパートさんに来てもらっています。4年以上の熟練者も多くかなりの事を任せきりにしていて、頼もしいスタッフに感謝感謝です。それでも夏の忙しいときは作業が後手後手となり、いい方法はないかと知恵を絞っています。農家になって豊かな時間を楽しむはずだったのにサラリーマンの時よりずっと忙しい毎日となりました。土日がなくなったので家のことは仕事の合間を見つけて挟み込んでゆきます。6年生の長男には食時作りの手伝いを頼み、3年生の次男はお風呂掃除。4歳の女の子に妹の面倒を見てもらい、子供も立派な労働力です。後にしわ寄せがくるとはいえ、どうしてものときは時間の使い方を自分で決められるのは農家の魅力です。農家は身体が資本、頑張りすぎて身体を壊してもなんの保証もないので限界を計りながらせっせと働く毎日です。
バラが好きで本当によかったと思います。農業は好きでないとやれない仕事です。バラ、バラ、バラの人生はバラ色の人生とはちょっと違いました。


題:「バラ生産業」
イメージから遠いかも知れませんが、農家は毎日激しい競争に曝されています。農家の場合忙しいことは儲かっていることを意味しません。花市場は需給のバランスで値段が決ります。値段は買い手次第、生産者が値段を付ける訳ではありません。自分が忙しいときは他でもたくさん採れ、生産過剰になり安くなります。農業生産物は工業製品のように、売れないときにはラインを止めておく、という事ができません。お天気しだいなので雨が三日続けば花は咲かないし、暑い日が続けば一斉に咲き出します。売るのも作るのも自分の思うようには行きません。
「太陽と、土があれば農産物はできるのでしょ。」と言われる事もありますが、バラ作りにはたくさんの経費がかかります。ハウスの建設費等の初期投資も必要ですが重油代、人件費、肥料代、農薬代、電気代、箱代、輸送費、などなど運転経費も想像以上にかかります。手仕事なので人を頼まないと良い花を咲かせることができません。暖房をあまり節約すると、クリスマスから母の日まで、花が咲かない状態になります。冬中ずっと17度以上を維持していますので1日ドラム缶1本以上の重油が必要なときもあります。綺麗な花を咲かせるためには、コストを落とすことは難しく、それゆえバラの花の値段は高かったのです。
しかし、この不景気で業務需要が極端に減り、その上輸入品が出回るようになって、バラの市場価格は5年前に比べて半値くらいになりました。競り値が原価割れする事も多く小さな生産者はどんどん辞めていきます。福島県にもバラ研究会があり6年前には40人近くのメンバーがいました。父の日には花束を県知事に届けたりしていたのですが、会員が減り10人となって今年無期休会となりました。20年来続けてきた方や、数々の賞を取ってきた方も辞められました。コストを下げ、市場と交渉出来るくらいの力を持つには大型化するしかありません。それだけの資金力や組織力のない小生産者は辞めるか、自分で売るかの選択になります。私も、3割くらいのバラは直売所や通信販売で売るようになりました。
雑誌でバラの花のブーケが何万円とかと載っているのが不思議な気がします。でも、野菜が安いからといっておいしいレストランで野菜の値段を気にする人がいないようにお花屋さんにはそのセンスを買いに来るわけなので値段は違って当然だと言えます。
農家の売るバラは花屋さんとは違って素材の新鮮さや安さを売りにしています。その代わり、季節やお天気のせいで花が咲かないときは断る事もありますし、注文がたくさん来たときも残念ながら咲いているだけしか売れません。アレンジや花束は花屋さんみたいにあか抜けしていないかも知れません。
でも、2000年以上の間人々に愛され続け、クレオパトラやナポレオンの妻のジョセフィーヌを慰めてきたバラを、今自分が生産しているのだと思うと、誇りに思うし楽しくて辞めてしまいたいなどとは思わないのです。それゆえ、生き残るためにいろんな事に挑戦しています。
時々、お客様から、喜びの手紙やメールをもらいます。そんなときは嬉しくて、バラ生産者を続けていてよかったと思います。


題:「デンマークの不思議」
面積で福島県の3倍,人口で2.5倍。北欧デンマーク王国。10年前、本社勤務のため、人魚の像近くの5階建て住宅の1室で半年暮らしました。妻も職を得、息子にもベビーシッターを見つけることができ、3人で生活に馴染むにつけ日本との違いをいろいろ見つけだしました。
最高峰が173m、平らな国なのでみんな自転車を愛用。自家用車は税金がとても高いのです。電車は深夜まで必ず1時間に3本。スーパーなどの商店は6時に閉店。土曜の午後、日曜はお休み。お土産物屋とキオスクだけしか開いていません。最初は戸惑いましたが、慣れると結構平気。要る物は何でも手に入リますが、日本のような細かい品揃えはありません。公園がいたるところにあり、暖かくなると休日は芝生やビーチで寝転びます。フリスビーやボールでせっせと遊ぶ事もなく時間の流れを楽しむのです。日曜日は遊びに行くので選挙は火曜日。会社ではお昼のほかに午前と午後にお茶の時間。手造りケーキの日もあり、当番制です。私もシュークリームを焼いて行きました。フレックスで時間の管理は自分自身。みんな4時頃になると帰り始めます。残業もしますが、時間通りに終われないと計画が悪いと思われます。冬は真っ暗で家にいる事が多いので、住心地を一番に考えます。セントラルヒーティングが入っていたので、日本で使っていた"どてら"は出番なしでした。夏は1日中明るく、陽気に外ではしゃぐ人々は冬とは別人。日本から研修に来た人が魅せられて会社を辞め、デンマークで暮らす事が続き、その時は経費を全額もどす旨を契約に入れるようになったとか。
そんなデンマークでしたが、実はその1993年は不景気で失業率12%。それでものんびりしているように見えたのは、失業給付のカバー率が高いせいかも知れませんが、食料自給率、エネルギー自給率ともに100%を越えている国なので、気持ちに余裕があったからだと思えてなりません。
もともとデンマークは、食料もエネルギー資源も乏しかったそうです。肥沃な土地でなかったので雑穀を育て家畜を飼い、農産物の輸出国となりました。エネルギーも北海油田を開発し、風力発電を発達させ、バイオマスエネルギーの利用も進め、エネルギー消費を効率化やリサイクルで押さえ込んだおかげで、今では100%自給できるようになったとか。食糧とエネルギーと言う重大な不安材料を克服していたのです。
会社では社長など位が高いほど定年が早く、会社に影響しない洗い場さんは70歳まで働けます。残業しないのは時間あたりの労働効率を上げるため。会議では空腹のいらいらで議論が空転するのを避けるため必ずおやつを食べながら話し合いをします。いろいろなところに形にとらわれない合理主義が見え隠れします。
合理的に過去の事を検証し善後策を練る。そうして、この10年間で失業率は4%にまで減ったそうです。国際競争力も常に上位。贅沢をしないで、ゆっくり暮らし、合理的に問題を解決してゆく。元気のない日本の回復の薬を見つけ出す鍵があるのかもしれません。その合理主義者達がエネルギーと農業生産にこだわったのは、訳があるのだと思います。
いろいろと考えさせられたデンマーク暮らしでした。


題:研究開発型企業
お天気もバラも花の周りの虫たちも根の周りの微生物も皆複雑でつかみ所がありません。その中で思い通りの作物を作ると言うのは至難の業です。「農家は百の肩書きを持ち、百の知識で百の作物を作るから百姓と呼ばれる。」と何かの本で読みましたが、私はバラだけしか作ってないのにそれでもいろいろな知識が要求され毎日頭を痛めています。
良い花を咲かすには温度、湿度、風速等の最適環境や、栽培溶液の栄養素の最適組成、剪定方法、病気、害虫のことなど多くの事を知る必要があります。本を読み人に聞いても、場所も違えばバラの種類も違うしハウスの構造も水耕栽培の様式も違います。多くの情報はそのままでは役に立たず、自分で検証して試行錯誤しながら自分の方法を作り出さねばなりません。生産農地で色々試すのはかなり勇気が要ります。新製品の農薬を試してみたら薬害が出て1作だめということも起こります。病気や害虫ですぐに処理しなければいけないときは、少しづつ試している余裕もないのです。薬害も、品種やその時のバラの調子で出たり出なかったり。農薬の効果も虫やカビに抵抗性がつくのか効いたり効かなかったり。やってみないと分からないことがいっぱいあります。「効くよ」と薦められた植物栄養剤を使っても、学校でやる実験とは違い、はっきり効果が出るようなことは稀です。そんなときは、なんとなく良いかな程度の差を見極めて判断する必要があります。失敗は怖いし結果が分かりにくいし判断するのには時間がかかります。栽培溶液の処方を決めるときも、いろいろな文献を参考に各栄要素の濃度を少しずつ変えてゆき、ハウス内の全種のバラが安定して咲くようになるまで3年以上かかりました。それを元に夏と冬でカルシウムとカリウムの比率をかえたり、日照不足のときはモリブデンの量を多めに入れたり等々、環境の変化に合わせてこまめに変えています。花の日持ちのさせ方や傷まない梱包の仕方、その上販路のことや売り方のことまで考えると、どれだけの知識を貯めて経験を積まねばならないのか見当もつきません。花束を箱に詰めて寝かせた状態で地方発送したときのことです、一晩のうちに箱の中でバラが成長して花が全部重力と反対方向に持ち上がり「バラがひまわりみたいにみんなこっち見てるぞ。」とお客様に怒られました。以後、縦箱で花を上にしてお届けするようになりましたが、想像しないようなことがいろいろと起き、その度に改善が必要となります。
昔は店できゅうりを買うとき、どれでも同じだろうと思って値段の事ぐらいしか気にせず無造作に買っていましたが、一つ一つ品種も違うし、畑も作り方も違って味も違うんだろうなとしみじみ思うようになりました。
6月まだ日照りが続いていた頃、「今年の7月は寒くなるよ。」と予言した農家の方がいました。確かに7月は寒かったので驚きましが、どうして気象庁の予想より正しい予想ができたのでしょう。農家の智恵恐るべしです。どこまで分かるようになれば一人前の百姓と呼ばれるようになるのでしょうか。30代後半から入った農業修行の道は先の長いものになりそうです。


題:みんなちがったバラがいい
バラの品種は2万種以上、毎年品種改良されてどんどん増えます。切花用の品種だけでも年に何十品種も創出されます。個性的で他の農園にないバラが欲しくて、新しい品種や変った品種を導入していたら27品種にもなってしまいました。1品種当たりの栽培面積が少ないので花市場に出荷する1箱分(普通は50本)が揃わないこともよくあります。どうしても数が揃わないときは20本や30本で出荷しています。バラは手入れの仕方や切る時の花の咲き具合などが品種ごとに微妙に違うので、少量ずつ沢山の種類を育てていると栽培にも選花や箱詰めにも時間がかかるし、神経も使いますが、変ったバラを持っているからと東京の大きな花市場から弊園にわざわざ注文が来たり、それで注目されることもあります。年2、3品種入れ替えるのですが、各品種それぞれに個性があって毎年ずいぶん悩みます。花市場でのバラの値段はおおよそ花が大きくて長いほうが高いのですが、その品種が流行るかどうかによって非常に大きく差がつきます。品種選びはまさに真剣勝負です。
個人のお客様で品種まで気にされる方は少ないのですが、バラは100%嗜好品なので人の数だけ好みが分かれます。色ひとつとっても、バラは絶対真紅という人がいれば、明るいオレンジやピンクで元気が出ると言う人、シックに茶色や緑が好きという人さまざまです。もちろん、その日の気分や何に使うかによっても左右されます。その上必要とされる花の大きさや形、咲き具合も様々なので「この園で1番いい花を見せてくれ。」と言われても、どれを選んでいいか困ってしまいます。もちろん、私自身の1番好きなバラはあるのですが。
あるとき、知人の結婚祝いに少し気合を入れて大輪のバラの花束を送ったら、冗談なのか本気なのか「こんな大きいバラは家が狭いので邪魔です。」という礼状が届きました。一方で「玄関の壷に活けるから、長くて大きなお花にしてね」と念を押されたり。咲き具合でも、お祝い事で手渡す時は開き気味でボリュームがあるほうが見栄えするし、家で飾るには小さいつぼみの方がゆっくり咲いていくのを楽しめるし。押し花にするから完全に開ききって花びらが反り返ったのが欲しいとか、ボトルフラワーに使うからとにかく小さいバラが欲しいとか、花屋さんには首の曲がったバラがないのでわざわざ農園まで探しに来たとか。みんなに喜ばれるバラってどんなバラでしょう、お客様が増えるほどにどんどん解らなくなっていきます。ただ一つ新鮮で日持ちの良いバラが喜ばれるのは確かなようです。
多くの好みと沢山の種類のバラ、うまく出会えば最高です。
この頃は、電話、FAX、携帯、インターネット等々通信手段が格段に便利になり、輸送手段も発達してどんどん速く広範囲に届くようになってきたので、市場や花屋あるいは個人消費者の方から気軽に連絡を受けて相談して、それに応じて発送できるようになって来ました。バラだけでなく他の花も野菜も果物も、みんなとても個性的。農産物を買うときは、自分の好きな生産者を選んで相談して、自分の好みの作物を手に入れる。そんな時代がもうすぐそこに来ているのかもしれません。