けやき6号に載せた文章です。(2009年3月発行)



バラ農家になって、11年が過ぎました。

                にこにこバラ園 園主 伊丹雅昭

バラ農家をはじめて5年経った時に民報のサロンで書かせていただきました。それから6年。農業を取り巻く状況も、バラ生産の環境も、須賀川の街も、日本の経済もどんどん変わって行きました。農家は、手仕事が多いので、手を動かしながら、ぼうっと考える時間は豊富です。そんな時に考えた、バラ屋のおっちゃんのぼやき。「世間のスピードにはついていけませんなー」と言うぼやきなどをブログ風に書いてみたいと思います。

お金が腐る。

古い大阪の商売人の間には「お金と、しょんべんは、たまると腐る」と言うことわざがあります。今度の金融危機も、経済のことなど分からない、バラ農家のおっちゃんから見れば、「お金が腐ったんやなー。」と思いました。ちょっと前まで、世界的にお金が余っていて、(お金が余ると言うのが、貧乏人の私にはよく理解できないのですが)株とか証券とか、土地とか、石油などの値段を吊り上げている、と言うニュースをよく聞きました。商品がお金で、それを買うのもお金なので、ややこしいのですが、豊作で採れ過ぎた桃(バラもそうですが)と同じで、行き場所が無くなったら腐るのでしょう。腐りきったら、またありがたさがまして、価値が出てくるのでしょう、きっと。豊作貧乏に泣いている農家のおっさんにはそんな風に思えます。腐らすくらいだったら、思いっきり喰っちまったほうがよかったなーと思うのと同じで、腐らせるくらいなら、どんどんお金も使って、孫や、子供や、自分を喜ばせるほうが、良かろうに。大阪の商売人はそれにかこつけて、遊びの方便にします。相撲のたにまち(大阪の谷町の豪商が相撲を贔屓したことからこういわれます<歯医者と言う説もあり>)が相撲を活性化した、よいパトロンだと言うことは良く知られていますが。お金を持っている人は、遊びにでも、研究にでも、慈善にでもなんにでも、お金を使ってくれれば、お金を腐らせずに回せるように出来るのじゃないかと思います。江戸時代の江戸も「宵越しの金はもたねい」とか言って、儲けたお金を直ぐに使っていたから、お江戸の中は豊かだったのじゃないのかなぁ。バラの花にも、沢山のパトロンがついてくれたら、よりきれいなバラが作れるんじゃないかと思う、バラ屋のおっちゃんです。でも、先行きが不安じゃ、老後が心配で、高利回りの証券買っちゃいますよね。

育てる仕事

長雨で、ハウスの半分くらいのバラが病気になり、葉っぱを落としたときや、冬の暴風でハウスが破れ、バラの芽が凍みてしまったときなど、もうだめかと思うことが何度か有りました。でも、ちゃんと手当てをして育て続けていると、再び芽を吹き、きれいなバラを咲かせてくれます。バラの生命力の強さを感じる時です。バラを育てて11年経ちましたが、育てる仕事というのは本当に解りづらいものだと思います。同じように、肥料をやって、温度をかけて育てていても、同じようには出来ません。なんかしら調子が良くてきれいな花をどんどん咲かせているかと思うと、急にすねたように元気がなくなったりします。これをやっておけば大丈夫という方法が見つかりません。育てる仕事と言うのは大体そのようなものなのでしょうか。農業をやる前も、私は、育てる仕事をしていました。カビとか細菌とかを育てて、酵素を生産させる研究です。カビや細菌のご機嫌を取って、沢山の酵素を生産させるのですが、相手は単細胞生物といっても生き物は手強い。こちらの読みが当たることはほとんどなく、試行錯誤の連続です。研究の末、よい方法が見つかっても、いつも同じような結果になるかと言うとそうは行かない。ほんのちょっとしたことで(ちょっとが解るときと解らないときがあるのですが)全く違う結果になることがあります。工学部的思考に慣れていると、「同じようにやっているのに何で同じにならないのか。」といらいらすることもありますが、相手が生き物だと、そんなこともあるのです。さらに、複雑さの増した、バラ栽培ではもっと、何でこうなるのということが増えました。農業をやり始めてから、大分気が長くなったと思います。で、育てる秘訣はなにかときかれると、とにかく観察することだと思います。出来るだけ多くの要素を、できるだけ長く観て、覚えておく。そんなこと、と、思うのですが、これがなかなかしんどい仕事です。育てる事に関しては、子育ても、会社育ても、同じことなんだと思います。自分が育てているようでも、育つのは、育つもの自身で、育ちたいように育ちます。育てるほうは、ただ、見て、診て、看て、サポートするしかありません。そうしていれば、育てる者の思うようには成らなくても、育つもの自身の強さで、それなりに育っていくような気がします。本当に、辛抱と時間のかかることだと思います。経済なんかも「生き物みたいだ」とみんなが言うのなら、同じように、良く観察して、世話をして、ゆっくり時間をかけて待ったら、自分の力で、良くなっていくのではないかと期待しています。生物と経済が一緒かどうかなんてそんなこと全然わからない、バラ屋のおっちゃんの浅知恵です。

デンマークから考える

民報サロンでも書きましたが、農業をやろうと思ったきっかけは、前職での出張で家族ととも半年間暮らしたデンマーク生活でした。食料とエネルギーに不安が無い国は、それらを買うために、あくせく働かなくてもよいので、ゆっくりとした生活ができるのかと思ったものでした。(1973年のオイルショックのときは日本よりもエネルギー供給率も食料自給率も低かった国が、私の行った1993年には100%以上の供給率、自給率になっていました。)でも、もう一つ大切なことは、国の中でお金が回っているということかもしれません。ご存知のように、デンマークは高福祉国家なのです。私達のような外国人に対しても、そこに住んで登録してイエローカードをもらうと、医療費はただになりました。出産費用も、葬式代も税金でまかなわれるそうです。教育も基本的にただなので、学費のために親があくせくすると言うこともありません。(上の学校に行かなくてもそこそこのくらしが出来るので、勉強が出来る人や勉強が好きな人しか大学には行かないようですが。)生活をしていくのに国が何とかしてくれると言う安心感(1993年の失業率は12%だったのにもかかわらずです。因みに2007年の失業率は3.6%と低くなっています)と、家のローンなどで借金をしていると、税金が安くなると言うシステムもあり、みんなお金を貯めないで、使います。少し元手が出来ると、事業を起こすのも気軽にやっていました。失敗しても、セーフティーネットがあるので、生きて行くことは出来るからです。稼いだお金を自由に使える環境がととのっていて、お金が国内にうまく循環するので、国際競争力もいつも高い位置にいることができるんだなと思います。(国際競争力2007年 3位、因みにこの年の日本は8位)これは、税金と言う形で、国にお金を預けて、国はそれをちゃんと自分が弱った時に使ってくれるという安心感をみんなが持てると言うことに他なりません。何年か前、竹中平蔵氏がテレビの番組の中で、北欧の福祉社会は人口が少ないからできるので、日本では出来ないと言ってたのを聞きましたが、福祉を良くして、そのお蔭で、みんなが気軽にお金を使えるようになれば、内需はおのずから拡大するのだと思うのですが、そんな工夫はできないのでしょうか。国は600兆円も借金があっても、国民は1600兆円も預金を持っているというのは稀有な国だと思います。それが、好いのか悪いのかわかりませんが、なんかいい方法は無いのかなーと思う、お金とは全然縁の無いバラ屋のおっちゃんの呟きです。

必要の無い仕事

「どうして、食料自給率に貢献する食料ではなくて、バラ農家なのですか?」と聞かれます。もっともです。小さな農地でもちゃんとした収入が得られる農業をやる必要があったのでバラ栽培を始めたのですが、でも、それだけでも無いのです。私の父親は、戦後兵隊からかえってきて本屋を始めたのですが、更紙に謄写版で刷ったような本が、飛ぶように売れたそうです。食べ物もろくに食べれなくても、人は活字を欲しがり、音楽を聴きたがります。花を見ればきれいと思い、芝居を見れば、心が揺さぶられます。食料だけでは生きていけない性があるようです。石器時代から、花を飾った形跡があるということなので、花を必要とした歴史も長いのでしょう。お届けしたバラで部屋が明るくなったとか、暗い気分が癒されたなどと聴くと、本当に嬉しくなります。働く人は、いつでも、自分の仕事が他の人に必要とされているかどうか気になります。ご主人を無くされた方にバラを送ったときに、バラをいじっているだけで、慰められて良かったと言ってもらったり、病気の時にどんどん開いてゆくバラを見ていて元気付けられたと言うお手紙なんかをもらうとやっていて良かったと思います。食べ物だけで暮らして行けるわけではなく、ちゃんと生活するには、心の高鳴りや安らぎが必要なのだと思います。食料ではないけれど、バラ屋も人の暮らしのお役に立てると思うのです。だから、「こんな農業もありかな」と思っています。そして、嗜好品を栽培していても農業をやっていけるのだということが証明できた時には、広い農地を持っている農家が、本腰をいれて、食料生産に乗り出してくれるのではないかというのがバラ屋のおっちゃんの淡い期待なのです。

日本の農業、バラから見て。

バラは世界中で親しまれ、高く売れるので世界中に沢山の生産者を生み出すことになりました。アフリカの赤道付近の高原地帯を中心とした地域や、南米の赤道付近の高原地帯を中心とした地域、インドのバンガロールを中心とした地域の他、ベトナム、中国、韓国などで大量に栽培されています。実はアフリカや南米の赤道直下の高原地域はバラの生産に適しているのです。ケニアでは、赤道直下の海抜2000mくらいのところに農園が沢山あります。台風が来ないので、簡単な施設で大丈夫だし、温度が1年中12度くらいから25度くらいなので燃料を燃やす必要もなく、労働力が安いという好条件が得られるからです。(日本ではこの施設、燃料、労働力の経費が高いので、バラ1本当たりの生産費が驚くほど高くなります。)その上、施設の広さも半端なものではなく、1社で200ha(東京ドーム40個くらい)の農園を持っているというところもあり、生産性では日本でどんなに頑張っても、太刀打ちできません。バラには関税がかからないので、空輸運賃だけが、関税がわりです。そのため2008年は、日本で流通している3割くらいのバラが輸入物になったそうです。アメリカのバラ農家は、エクアドルやコロンビアから大量のバラが入ってくるようになり、ほとんどやめてしまいました。日本はそれらの生産地から比較的遠いので、今までは、中国やロシアなどの景気がよい国で消費されて、あまり入ってこなかったのですが、金融恐慌の影響でこれらの国の景気が落ちてきたこれからは、今まで以上に日本に入ってくると思われます。どうなるのかは想像もつきません。野菜や穀類もそうですが、外国産のものばかりになって、本当によいのかな、と疑問符です。それに対抗すべく、バラの花を自分で花束にしたり、アレンジメントにしたり、加工もして、自分で売るようになりました。これからは他の農業生産品もそうなるでしょう。せっかく、消費者と生産者が直ぐ近くにいるのに、一度遠くまでもって行って、戻して値段が高くなる(生産者から見れば、安く買い叩かれる)というのは、システムとしては、もう限界かなという気がします。ある程度、安い農産品が入ってくるのは仕方ないとして、それでも、日本の農業者が生きてゆくには、顔の見えるお客さんに自分で売るということをしなければいけない時代になったんやないかなーと考え込むバラ屋のおっちゃんです。「商売するために、農業を選んだわけとちゃうけど、生きてゆくためにはしょうがおまへんワ。」


徒然に5編ほどかかせていただきました。

世の中の進み具合の速さをぼやく日々ですが、人の根本にあるものは多分1万年以上変わっていないのだと思います。人は、生まれて、恋をして、次の世代に期待をかける。「近頃の若い者は、、、、」というぼやきが、ギリシャ時代の遺跡から発掘されたと聞きます。思いは、いつの時代もおなじなんでしょう。毎日、毎日、目先の事を考えてあくせくしながら、みんなの力で、知らないうちに、歴史を作りあげていくのが人類の営みなのかも知れません。大阪の繁華街で、生まれ育った私には、子供の頃に、自分がバラ農家をして、花屋の真似事をするように成るなんて、夢にも思ったことがありませんでした。でも、今、現実にそうなってます。一寸先が、どうなるかなんて分かることではありません。いつも、不安だし、いつも楽しみだし。人生は、沢山のオプション付きの旅行だと思って、困難なときも、できるだけ楽しんで生きたいと想うバラ屋です。

プロフィール

1960年 大阪市生まれ。大阪大学で造船学と発酵工学を学んだ後、外資系の酵素会社に就職。東京、千葉(半年だけデンマークのコペンハーゲン)で過ごした後、須賀川市に家族で移住.1998年よりバラ農場を始める.

にこにこバラ園のホームページはこちらです。 www.nicobara.com

私のバラ人生が 20人の変人の一人として、書かれています。よかったら見てください。
「ひとりビジネス」大宮知信 著  平凡社新書