農家になる前、なるとき、これから。

子供の頃、実際に戦地へ赴いた父や祖母から戦争の話しや戦後の食糧難の話をよく聞かされました。大阪に住んでいましたが、家は焼けるし、預金はモラトリアムでなくなるし、配給は少ないし、街には餓死者がおなかを膨らして倒れているし、無け無しの品物を持って農村まで闇米を買いに行っては途中で盗まれるし等々、体験談は生々しく、食いものがないということは恐いことで、食いものがあるということは幸せなことだということが、私の記憶の中に刷りこまれました。
1993年、千葉県に在る外資企業の生物系の研究員だった私は、同じ会社の研究員であった妻と1歳2ヶ月の男の子を連れてデンマークの本社に半年ご厄介になることになりました。そこで見たものは、質素ではあるけれど豊かな人々の生活でした。高福祉国家で、車やブランド品は税金が高くてなかなか持てないけれど、食う、住む、医療には困らないシステムがありました。ビジネスマンは何処の国でも同じでテキパキ仕事していますが、過度の競争を嫌い自分の暮らしを楽しむ術を知っている、そんな人々がいました。人口500万人、九州くらいの大きさの国が、どうしてこんなに心豊に暮しているのか不思議でした。デンマーク王国隆盛の時代に整備したインフラによるものかもしれません。が、主な理由は食料とエネルギーが足りているからではないのかと思い到ったのです。デンマークは農産物の輸出国であり、また北海油田も持つ上、風の強いユトランド半島の西側には、風力発電装置もたくさん立ち並んでいます。日本はその点、食料も、エネルギーも全く足りない状態で、とにかく工業製品をがんばって輸出して得たお金でそれらを買ってなんとか生き延びています。しかし、持っているお金の価値が簡単に変わることは、昔のモラトリアムや少し前のアジアの通貨危機の例を見るまでもなく、みんながなんとなく感じ取っていることだと思います。そういう潜在的な恐怖感が、輸出力、経済力を落とさないように、夜も昼もなく働き続け、ちょっとお金ができると、贅沢に走るという、刹那主義に走らせるのかもしれないと思ったのでした。帰国後、妻は、日本の都会のようなごみごみとして忙しいところではなく、自然のいっぱいあるところで、子育てをしたいと思うようになり、田舎に移り住んで暮す方法はないだろうかと言うようになりました。一体全体、田舎で食っていけるものかどうか、情報集めを始めました。どうせ会社を辞めるなら、自営業、それも田舎なら農業だろうということで、本を読みあさり、UIターンフェアや、農業会議のフェアなど農業関係の催し物を、妻と一緒にいろいろ見て回りました。いったんは次男ができたので中止しましたが、(そうでなければ、北海道で就農していたかもしれません)2年後に再開。就農準備校などで資料を集め、土地を持っていない者が農業を始めるとすると、小さな面積でも採算の合う花卉栽培しかないと分かり、元の職業であった培養工学が生かせる水耕栽培にしよう、だったらクレオパトラの頃から2000年以上愛され続けているバラにしようということになりました。UIターンフェアなどを見て回るうちに、熱心に相談にのってくれる福島県の青年農業者育成センターの人に出会い、連絡を取り合ううちに、バラの水耕栽培を教えてくれる人がいるというお話を持ってきてくれたのです。妻と二人して悩んだ末、福島県でバラの水耕栽培を始める事を決め、その先進農家のところで半年の研修をさせてもらえるようお願いし、その半年後(1997年7月)、妻子共々須賀川市に移り住んだのでした。
田舎に住んで農業を始めようするといろんな問題に直面します。技術的な事、住む家の事、近所づきあいの事等々。その中でも、一番の問題は、お金と土地です。農業は土地がないと話になりません。花卉農業を始めると言っても選花場なども必要なので4反歩(4000m2  )以上の土地がいります。研修中に半年かけて、普及センター、農協、農業委員会、不動産屋等いろんな人の手を煩わせて探してもらいました。荒れている農地はたくさん有りそうに見えるのに、いざ借りるとなるとなかなか見つかりません。大型ハウスが建つと簡単に返してくれとも言えないし、ちゃんと農業を続けられる人物かどうかもわからないし、貸す方の立場に立てば簡単に貸せないのだろうと思います。しかしながら、こちらも仕事をしないわけにはいかず、じりじりとしていたところ、子どもが通う幼稚園で知り合った方の口添えで、ハウスを建てられる農地を時間的にぎりぎりのところで借りることができました。結局のところ、人と人との付き合いの上でしか土地は動かないということがわかりました。今、2年ほど農業をしていると、「土地を貸しても良いよ。」とか、「買わないか。」という話も聞く様になってきました。時間がかかるのだと思います。でも、新規就農する身になれば、ゆっくり暮らしてから土地を探すという訳にも行きません。行政で買いとって新規就農者に貸し与えるとかなんとか、良い方法を考えてもらいたいものだと思います。お金の方も時節がら中々借りられません。政府や県の出している新規就農推進用の案内パンフレットには簡単に借りられる様に書いてあるのですが、農業普及センターの人などのお力添えをしてもらっても中々思うようには行かないのが現実です。私の場合も農協から近代化資金で1000万円借りましたが、保証協会を通すと保証人は要らないということになっていたのにもかかわらず、保証人を一人付けなければなりませんでした。たまたま、県内に身内がいたから良いけど、完全に見知らぬ土地で新規就農を始めようと思うと、お金が借りられなくて二進も三進も行かないことになります。農業は土地を借りるにしても、ハウスを立てるにしてもかなりの額のお金がかかります。その上、最初の作物が売れるまで時間がかかり、その間無収入です。ちゃんと資金のバックアップをしてくれるところがないと、まったく始められないことになります。その辺の面倒を見てもらえないので、やる気は有っても農業をやれないでいる新規就農希望者や農家の子弟がたくさんいるのではないかと思います。
1998年、2反歩のハウスを建てて農業を始めました。農業は面白いけどきつい。一言で言うとそうなります。お金が中々稼げなくてきついのと、生き物相手で休みが全然取れなくてきつい。しかしながら、農業は毎日発見がありとても面白い事も事実です。例えば、農業をやっていると光に敏感になります。植物は光で育ちます。光ばかりは太陽に頼らなければどうしようもありません。冬は冬至が来てここから先は日が長くなる一方だと思うと本当に嬉しく感じます。夏も一番暑く感じるのはハウスに光が一番よく入る梅雨の晴れ間です。光が差すとハウスの中はすぐ40度を越えます。まだ、夏の暑さに慣れていない頃に、この暑さの中で農作業をするのは本当につらいものです。8月にはいると気温は高いのですが光は幾分弱くなっていくのを感じ、なんとなく、行く夏がさびしいような気がしてきます。農家というのは、まさに太陽と一緒に生きているのだなと実感します。生き物であるバラを扱ってみると、今日良いバラができたから明日も良いだろうと期待していると急に病気にかかってしまったり、その反対に今日病気になったと落胆しても、2〜3日よく晴れるとぱっと直って良い花を咲かせてみたり、それはもう驚くべき速さで変化していきます。私は元々、細菌や、かびを培養するのを職業としていましたが、微生物に勝るとも劣らない反応の速さに正直びっくりしています。だから、毎日気が気ではありません。実際、自分が体をこわして手入れをさぼると、花が悪くなるのがわかります。機械も壊れる事があります、特に雷の多い夏場、停電や機械の異常でハウスの管理がうまくいかなくなると、すぐに花が悪くなります。手の掛かる子ほどかわいいと言いますが、農産物は本当に手が掛かり、かわいいものです。しかしながら、農業で食っていく身としては、かわいいだけではすまされません。お金にならないと困るのです。ところが、バラの値段は、全国的に大型ハウスができたことや輸入品が入ってきた事などでどんどん落ちる一方です。4年前に私が新聞のデータを集めていたときから、東京での市場価格の高値の平均で、30−40円は落ちたのではないかと思われます。もちろん、自分のバラが最高値にいるわけではないので、これを自分に当てはめると20円くらい計画よりも落ちているかなと思います。と、言うことは2反歩のハウスで年間20万本切れるとして400万円くらい売上が足らないということになります。かつかつ食えるはずだったのが食えないということになってしまいます。近所の同業者でも、辞めていく人が目立ってきています。つまり、昔から良いバラを作り、ちゃんと食っていた人でも、バラを見切ってしまうような所まで来ているのです。そんな中で、農業者として生き残る方法は三つではないでしょうか。バラを辞めて違う作物を作る。規模を大きくしてコストダウンを計る。1本あたりの価格を上げる。私の場合は、借金をして、バラ用のハウスを建てたので、辞めて違うものというわけにいきません。規模大きくするにも、もうこれ以上の資本はかけられません。残された道は、自分で、販路を作り単価を上げるという方法です。市場価格が、そこそこの値段(5年前位の水準)であれば自分で小売りなどをしなくても済むのにと思いながら、食うためには仕方ないので個人向けの販売で少しでも単価を上げる方法を模索しています。地元では、米、果樹、野菜などの農家仲間と一緒に、"カントリーロード"というミニコミ季刊紙を発行し、地元の消費者と農家を情報で橋渡ししようと取り組んでいます。通信販売も始めました。顧客を増やす方法を考えるのは頭の痛い作業ですが、東京、千葉、大阪等自分の知り合いがいるところのミニコミ紙を送ってもらい、そこに広告を出すとか、インターネットのホームページをつくるとか、考え付くところから、簡単にできるようなところから少しづつやっていっています。通信販売をするには顧客の管理や伝票整理も大きな仕事となりますが、コンピューターを駆使することにより、なんとかこなしています。妻が、コンピューターのプログラムに少しづつ手を入れてくれているので、最初に比べるとかなり使い易いものになりました。知り合いのコンピュータ技師にも時々来てもらい手におえないところは見てもらっています。広告を出してもあたりはずれがあり、今度は良かったとか全然反応がなかったとか、毎日、妻と作戦会議を開いています。口コミでも少しづつ広がり、日に1件くらいは必ず注文が入るようになりました。実際、通信販売をしていると、クレームも喜びの声も直接聞かせてもらえるので、やり甲斐がでます。ホームページの方からの注文は、月1件あるかどうかというところです。技術的に未熟で簡単に注文を受け付けるようにできず、カタログ代わりに見てもらっているという段階です。E-メールは質問にすぐに答えられたり注文を受けたりと重宝しています。少しづつではありますが、インターネット経由の注文も確実に増えてきています。これからの分野だと確信しています。
これが進化して、農協や商社や市場などが運送会社や銀行と手を組み、注文を受けたらその日の朝採り野菜や花を、採れたその日や次の日に、新鮮なまま届けて、その場で決済も可能になるというような時代が来るのではないでしょうか。私達のような小さな生産者は、そのようなインターネットショップ+運送+銀行のようなシステムを持っている会社のネットの下に店を構え、新鮮な野菜や花を、注文があったらすぐに届けることができ、消費者の感想なども直接聞けるような、インターネットを通した新しい対面販売が可能になるのではないかと思います。遠いけれど近くにいるような関係で、姿はそこに見えないけど八百屋と話しながら野菜を買っている感じで、生産者から直接買い物ができるようになる日も、そう遠い話ではないような気がします。
そうなると、市場の毎日の価格変動に左右される、博打をうっているような農業ではなく、頑張れば報われる農業になるのではないかと思います。豊作で忙しくなると、かえって儲からなくなるというのは人を農業から離れさせる一つの原因でしょう。博打の好きな百姓ばかりではありません。出荷したときの市場での価格の上がり下がりに、一喜一憂するのは精神衛生上良くありません。バラだけではなく、他の農産物でも儲からないものがますます儲からないようになってきていると嘆く声を聞きます。私もがんばらなければ、と決意を新たにします。私のような農業に携わったこともないずぶの素人が、それなりに農業して食っていると、既存の農家はやる気を取り戻すでしょうし、新しく農業に挑戦しようと言う人を勇気つけられるのだと思います。そういう人がどんどん増えて、食料を作り、花を作り、食料のことで不安を抱くこともなく、身近に花を愛でる事ができれば、みんながもう少し余裕を持って、他人に優しくなり、にこにこと暮らせるようになるのではないでしょうか。妻は子どもに働いているところを見せながら育てられるところが良いと言い、私は自分の計画どおりに自分の責任でやっていけるのが一番の魅力だと思います。さて、定年のない農業、何歳までやれるか楽しみです。ただ今、ハウス600坪、パートさん4人(午前中だけ)、夫婦2人労働(時々子どもがお手伝い)。もう少し、大きくしたいなというのが今の願いです。